MOTORCYCLE

10年ぶりにバイクを買いました。ちょっと古めのバイクで、YAMAHA FZR250という1980年代に発売されたバイクです。唐突にバイクというのもちょっと変な話なのですが、しばらくバイクから離れていて、戻ってきてみるとびっくりするような状況になっていたからなんです。

現在日本のオートバイメーカーは現在4社あります。(HONDA、YAMAHA、SUZUKI、Kawasakiの4社)今から20年くらい前にいわゆるバイクブームというのがありました。HONDA対YAMAHA、通称HY戦争などと言われたりもしたものです。当時のいわゆるスポーツバイクっていうのは、レーサーレプリカ全盛期と言われまして、250CCから750CCまでフルカウルを装着した、オートバイレースをイメージさせるようなバイクばっかりだったのです。メーカー4社もこぞってこのようなバイクを発売しました。

当時の免許制度も今とは違い、自動二輪免許という2輪免許があり、その中で、小型、中型、限定なしというように3段階に分かれていました。小型は排気量125CCまで、中型は排気量400CCまでのオートバイに乗ることができ、それらの免許は公認教習所で取得可能でした。しかし限定なし(いわゆる限定解除)免許は、教習所で免許が取れるというものではなく、各都道府県にある免許センターに出向き、そこで実際に試験を行っておりましたが、これの取得が今では考えられないほど難しいものでして、限定解除しようものなら、それこそ、赤飯を炊いて祝ったようなものでありました。事実、400CC以上の排気量のバイクに乗るには、限定解除が必須であったのです。

その後、「外圧」によって、限定解除が教習所でも取得できるようになり、多くの人が限定解除を行い、400CC以上のバイクにたくさんの人が乗れるようになったのです。

ちなみに、私は、中型限定免許・・・今で言う普通自動2輪という免許を持っておりますが、この免許では、400CC以上のバイクに乗ることはできません。多くの人が大型自動2輪免許を取得し、750CC超バイクに乗れるようになったのはすばらしいことではあるのですが、残念なことに、昔で言うレーサーレプリカタイプのバイクはすっかりと姿を消してしまいました。(事故があまりにも多かったためと言われています)

先ほどYAMAHAのHPを見て愕然としました。なんと、YAMAHAの2輪ラインナップから、完全にカウルを装着したバイクが姿を消していました。時代の流れでそうなってしまったのであると思うと、とても残念なことです。しかも他の3社も同じような状況です。

また、これも残念なことですが、「バイク=暴走族」というイメージは未だに拭うことができないようです。決して、「バイク=暴走族」という図式は成り立ちません。(現実に、多くの暴走族のアンちゃんが利用しているのは4輪が圧倒的多数です。)

「夏は暑いし、冬は寒いし、体剥き出し走行で、危険極まりない」

これも事実です。

でも、4輪では決して味わうことができない「楽しみ」・・・単純に走る楽しみというのは2輪車の持つ最大の楽しみです。

もっと、バイクのことを4輪車しか乗らない人にも知っていただきたいと、この8月から10年ぶりにバイクに乗ってつくづく思い知らされました。

  •  

FZR250

10年ぶりに乗り始めたバイクですが、普段からなるべく乗るように心がけているせいか(通勤快速SPと化しています)だいぶ昔のように、「乗りこなせる」ようになってきました。
今日(2002,9,29)は雨の天気予報がはずれ、曇りの一日ではありましたが、時おり晴れ間も見える、なかなかのツーリング日和。そこで、ここ数週間ずっと通勤にのみ乗っていた「憂さ晴らし」にと、日光に軽くツーリングに行ってまいりました。このところ、プチツーリングに出かけて思うこと・・・
中年ライダーがすっごく多いですねぇ。私もその一人ですが(^_^;)またまたバイクブーム再来ってことはないのでしょうかねぇ
現在のバイク人口を支えているのは実際問題として、以前乗っていたが一旦降りてしまい、その後改めて乗り始めた、いわゆる「リターンライダー」だそうです。子供も大きくなり、経済的にも余裕が出てきた層ですね。
われわれが若い頃…って言っても20年くらい前なんですが、多くの若者がバイクの魅力に憑りつかれ、その後4輪にステップアップしていったものですが、今ではビッグスクーターが人気のように、ファッションアイテムのひとつとしてバイクに乗る若者が多いとのことです。従って、峠に行っても攻めている連中の多くは、30歳以上の人たちが多いんじゃないでしょうか)


Accident

バイクリターンで10年ぶりに購入した1986年式FZR250(2KR)は、昨年11月、自宅付近走行中、右折乗用車と正面衝突により、大破、全損となってしまいました。わずか3ヶ月のイノチでした。合掌…幸いライダーであった私は、なんとか軽症で済み、不幸中の幸いでした。
事故は本当に嫌ですね。まさか私もわずか3ヶ月で全損とは夢にも思いませんでした。

このまま、ネイキッド化して乗ろうとも思ったのですが、ブレーキローターのゆがみ(走るとキーキー鳴く)とフロントフォークにも若干ゆがみがあり、修理見積もりはなんと30万オーバー!

ちなみに、損保の賠償金額はなんと18万…さらに過失相殺の15%差し引きで手元に残るお金はたったの10万…
どうあがいても、大赤字は必死です。

そこで、冬季ということをいいことに、ただいま新バイクを物色中。いまさらレプリカっていうのもどうかと思いますので、(ちなみに周囲からは、いい歳こいてレプリカや似合わないと言われております)今度はレアなネイキッドあたりを狙ってます。

(2005,9,5補足…
しかし改めて見てみると、よくもまぁたいした怪我もせずに済んだものです。今にして思えば、大した怪我もなかったってのはラッキーだったのかも知れません。相手車両が右折中でこちらの存在に気付きパニクッた結果、反対車線(当方の走行車線)の真ん中で止まってしまい、そこに突っ込んだというものでした。道の「ど真ん中」を塞がれ、対向車線は大型トラックがひっきりなしに走っており、ぶつかった衝撃で反対車線に倒れ込んだにもかかわらず、幸いにして対向車線に車がいない状態だったので、対向車にはねられる事もなく済みましたが、トラックがそのまま突っ込んできていたら…)

accident1
外れかかったアッパーカウル ミラーも折れかかり、ブレーキレバーは見事にポッキリ
accident2
ブチ割れたアンダーカウル。クランクケースにも大ダメージ外装パーツはほぼ全滅。

CB-1

新たにバイクを懲りずに購入しました。これまた1989年式の年代モノバイク、ホンダCB-1(NC27)です。
このバイクは発売当時、レーサーレプリカ全盛期のやや終わり頃に発売されたバイクです。 当時、カワサキからゼファーという空冷インライン4、400CCのバイクが発売され、アンチレプリカ派から絶大な支持を得ており、これに対抗すべくホンダから発売された、水冷インライン4、400CCのネイキッドバイクです。
当時レプリカブームは終焉を迎えつつあり、次世代のミドルクラスロードスポーツはどうあるべきか?という模索の時代でした。ヤマハはSR、SRXといった、いわゆるビッグシングル系統で実績を挙げており、ほかのメーカーとはちょっと毛色が変わっていました。また、硬派をイメージさせるカワサキは、先祖返りのようなスタイリング、更には空冷4発という当時としては、いったいどうしちゃったの?という雰囲気の中、ゼファーが発売されましたが、これがなんと大当たり!さてホンダはどうしたかというと、ヤマハのビッグシングル系にはGB400(単気筒)とBROS(Vツイン)で対抗、しかしヤマハ軍団にかなうことなく、更に、ホンダが得意とするインライン4もカワサキにお株を奪われた格好になっていました。そこでホンダが用意した最終兵器がこのCB-1です。
当時、ホンダのレプリカはCBR系(インライン4)とVFR系(V4)の2系統があり、どちらかというと、ワークスはV4を使用していましたが、インライン4もそこそこの実績を残しており、特にCBR系は素直なエンジン特性で扱いやすいということもあり、結構販売面でも成功していたと思います。ところが、レース活動はV型エンジンが主流なわけですから、モデルチェンジを行うのと同時にインライン4はちょっと毛色の変わったバイクを発売してきました。それがCBR400Rです。レプリカの次!という、これもある意味実験機だったのかもしれません。メカニズムも結構斬新な構造だったのですが、販売面では決して成功したとは言えないモノでした。しかし、元々素性の良いエンジンや、カムギアトレインといった先進性など、メカニズム面では決して他メーカーのインライン4に劣っていたということではなく、むしろ、優れていた面の方が多かったと思います。前述したとおり、ちょうど世はネイキッドブームの始まり。そこで、ホンダが世に問うたのが、このCBRのエンジンを流用したネイキッドバイク、CB-1です。CBRに対し、若干ローギアード化、更に最高出力を2PS落とし、57PSとして、街中で扱いやすいようにチューンされたようです。発売当時、妙にメカニカルな雰囲気のエンジン廻りに対し、丸パイプスチールフレームというなんとも言えないレトロモダンなスタイリングが強烈な印象として残っていたバイクです。当時私はヤマハのSRX-4に乗っており、これまたレトロモダンなスタイリングのバイクで、エンジン廻りのレトロ感とボディの官能的な曲線美…時に女性的と形容されたりしてました。…に一目ぼれして購入したバイクでしたが、CB-1の持つ硬派的な部分にこれまた一目ぼれ。いつかはCB-1!などと思っておりましたが、世間的にはこれまた受け入れられず、たった3年でカタログ落ちしてしまい、また、不人気車の代表とまでこき下ろされる始末…その後私もバイクから遠ざかってしまい、すっかり忘れていました。しかし、今回、たまたま、バイク屋に入荷していたCB-1を見ることで、再びCB-1熱が復活。わざわざ他店から取り寄せてもらい、購入となりました。

東北ツーリング

酸ヶ湯ビジターセンター

FZR250から始まった、バイク復活劇でしたが、FZRは事故で全損してしまったことは、このページでもお知らせしておりました。その後、昔の憧れだったCB-1を入手し、近場でふらふらと遊んでいたのですが、先日、ついに久々のロングツーリングに行ってきました。2泊3日で東北(山形、秋田、青森)方面。帰り道は青森からひたすら東北道を南進。600kmの一気走りだったのですが、さすがに400ネイキッド、高速連続走行はかなりシンドイんです。

それなりに楽しいツーリングではあったのですが、高速道路の長距離移動が正直こんなに辛いとは思っても見ませんでした。400ネイキッドは、100km巡航で走るには必要十分なのですが、余裕はあまりありません。ちょっと100kmオーバーしようものなら、ストレスたまります。いつかは大型二輪などと思ってはいましたが、現実、教習所に通うとなると、お金と時間(約10万円もの大金と仕事をしながらの教習及び検定の時間の調整)がネックとなり、踏ん切りがつかないでいました。400で十分じゃんなどと自分を無理やり納得させたりもしましたが、今回のツーリングで、長距離走るならやっぱり大型と心底考え直し、一念発起し、大型二輪をついに取得してしまいました。

奥入瀬

過去のバイクたち

一番最初に買ったバイクはスズキ・バーディー50。2ストロークのビジネスバイク。大学の友人から買っためっちゃ古いバイクだった。ところが、メカのことなんかまったくわからないものだから、オイル切れに気づかず、あっというまにエンジン焼き付きでオシャカにした。それでもなんとなくバイクの面白さがわかったような気がしたから、新車で近所の自転車屋でスズキジェンマ50を購入。バイト先への足として大活躍。2年くらい乗ったかな?
1万キロくらい乗り、プーリーが逝かれてしまい、まったく加速しなくなり、これまた廃車。
その後、友だちにそそのかされてDT-50を購入。中古で7万だったのは覚えている。
本格的なバイクライフは、このDT-50からスタート。

DT-50
DT50で行った小豆島ツーリングでバイクの面白さに目覚め、その後、途中一旦降りたことはあったが、現在まで乗り続けている。その一番最初のバイク。当時普通免許しか持ってなく、いわゆるオマケで乗れる唯一の二輪が原付。従って、当然50CC。当時はノーヘルでも乗れた。でも大柄な車体は警察に目をつけられやすく、何度となくパトカーに止められ、ヘルメットを被ってないということで切符を切られそうになり、そのたびに後ろのナンバープレートを確認してもらい、そのつど事なきを得たが、しっかり「ヘルメット被れよ」と注意だけは受けた。思い出深いバイクである。
MTX-125
DT50ではすぐに物足りなくなり、また、友人たちも自動二輪免許を次々に取りに行き始め、ツーリングにもついていけなくなり始めた。すでに自動車の免許は持っていたので、免許をとるのも実技だけで取れるため、ついに自動二輪免許を取得することとなった。しかし、当時は段階免許とかいうやっかいな「通達」があり、自動二輪をとるのも小型を取ってからでないと、中型は取れないという縛りがあった。しかたなしに、小型二輪を取得し購入したバイクがこのMTX125。さすがにDT50と違い、段違いのパワー。これで川原を走りまくり、オフに目覚めてしまった。ツーリングといえば林道ばっかりになり、休みとなれば河川敷のモトクロスコースでモトクロスごっこ。リーンアウトでイン側の足を前に突き出し、リアを滑らせながらコーナーを抜けていく快感…。今のライディングテクの基礎を作ってくれた、これまた印象深いバイクである。
SR400
小型限定免許を取った後、元から中型免許を取得するつもりでいたため、小型取得後しばらくして、中型免許取得。MTXでのツーリングの休憩中、バタバタという音と共に走り去る一台のバイク。なんだか鳥肌が立つのがわかった。それがこのSRを購入したきっかけであった。実際購入してみると、飛ばすバイクじゃないことがよーくわかる。ゆっくり走るとこれまたとってもイイ。雰囲気を楽しむバイク。基本的に自分はノーマル派だから、マフラーすらいじらなかった。でもツーリングの途中で出会った、あのSRとはやっぱり音が違うんだよね。まわすとカブみたいな音がするし。今なら、本当の良さがわかるかもしれないバイク。
FZR250 Phezer
今まで単気筒ばかり乗ってきて、マルチのスムーズさに一種の憧れもあった。発売された時のインパクトといったらそりゃもう大変。250CC インライン4 レッドゾーンは17000回転から!「こりゃすんごいバイクが出たもんだ」と。今後に続くバイク暦の中でも唯一新車で買ったバイクである。低回転では低く、くぐもった排気音。それがひとたび9000回転もまわすとキーンというジェット機を思わせるような独特の音。全体的に小柄な車体は「女の子バイク」などと言われたりもしていたようで、事実、女性ライダーもすごく多かった。しかし、コーナーではペタペタ寝かせられるし、それなりにスポーティーでツーリング時でも400マルチに十分付いて行けた。精密機械と言うにふさわしい、実は結構早いバイク。
SRX-4(写真はSRX-6)
スタイリングだけで買ってしまったバイク。独特のタンクの造形とサイドカバーまわりのデザイン、そして小ぶりなテールカウル。マフラーも控えめながらしっかり自己主張しているデザインと、艶かしいというのが似合うバイクである。ゆっくり走るのならSRでも良いかも知れないが、そこそこ攻めてみたくなる絶妙なバランス。攻めてもゆったり走っても絵になるバイク。実は10年ぶりにリターンするにあたり、この後に出てくるFZRと最後まで購入候補として争ったバイク。もう一度乗ってみたいと思わせるバイクである。
VFR400
SRXの反動が出てしまい、過激なバイクが欲しくなり、衝動買いしてしまった。実は400マルチは初めてのバイク。メーター振り切ったのもこのバイクが初めて。高速道路でパトカーに追っかけられたのもこのバイクが初めて。トルクのおばけです。これ乗っちゃうと、直4でも低速スカスカっていう気分にさせてくれます。270度クランクっていう変則的なエンジンで、音もかなり独特。この後に出たNC30は180度クランクになって、低音がかなりいい音がするようになったが、このNC21はバラバラバラ~っていう直4とも違う音がしていた。個人的にはお気に入りの音であったが、世間的な評価は「ペケ」でした。鹿児島から福岡へ引越してきて、マンションの駐輪場に止めておいたが、引越し後2日で盗難にあう。 結局、2週間後くらいに発見されたが、キーボックスは壊され、テールカウルはバキバキに割られ、アンダーカウルなど無いに等しい状態で帰ってきた。あまりのショックで、レプリカはもうやめようと思い、泣く泣く売却。あまりいい思い出が無いバイクである。
XT250
VFRと入れ替えに購入。レプリカなんてのに乗ってるから盗難にあうんだ~、という訳でオフ車に逆戻り。ツーリングと通勤にしか使わなかったため、オフロードはただの一度も走らなかった。レプリカからの乗り換えだったため、パワーない、吹けあがらない、コーナー攻められないで、ストレス溜まりまくりのバイク。結局1年半もの長きにわたり、屋外暴露させてしまい、エンジンかからず、そのままバイク屋に持ち込み廃車となる。もったいないことしたバイク。
RZ250
XTを1年半もほったらかしにしてしまい、バイクもそろそろ終わりかななどと考えていた頃、やっぱりバイクを降りられない自分を呪い、格安バイクを探していたときに見つけたバイク。すでに、YAMAHA250での2ストメインマシンはTZRに主役が移っていたため、RZはどちらかと言うと、TZRが買えない貧乏人が買うバイクという雰囲気であった。当時すでに結婚、子供もいたため、家族からはバイクを降りるように散々説得されていた。しかしどうしても、バイクそのものを否定されると、反抗心がムクムクと首をもたげ、カミサンに内緒で購入。会社の倉庫にて保管していた。しかし、これも子供が小さかったことや、家庭内での事情(子供が小さいと、オヤジだけ遊びに行くなんてことはほとんど不可能)もあり、バイクに乗ること自体がすでにほとんど無くなっており、結局5000kmも乗らず、約1年でこれまた売却。その後の「空白の10年間」となるきっかけとなったバイクである。しかし、残念なことをした。
FZR250
リターンライダーとなって初めてのバイク。SRXにしようかと迷ったが、FZ250の音が忘れられずFZRに軍配。ブランクが長かったし、復帰第1号としては250くらいが適当だし、そこそこの格好だし、ということで購入。子供も手がかからなくなったこともあって、カミサンも以前のようにバイクに乗ること自体、強硬に反対しなかった。しかし、10年のブランクは思っていた以上に世間の変化が激しかった。まず、レプリカなどというカテゴリは存在していない。まして2ストは全滅状態。スポーツ系のバイクは殆ど逆車で、国内向けラインナップも情けない状況。さらにスーパースポーツ…いわゆるSSというカテゴリが出来上がっており、しかも400CC以下のバイクなど、殆どお情け程度のラインナップ。大型二輪が教習所で取得できるようになったのが一番大きな原因なんだろうが、選択の余地がないと言うのは非常に辛い状況である。それでも、久々に乗るバイクはやっぱり良いもんです。当初はこれで十分満足していたのだが、わずか3ヶ月後、いわゆる「右直事故」であえなく全損、廃車。
CB-1
FZRを全損させられてから、修理の打ち合わせとか保険の打ち合わせとかで、バイク屋に出入りしていた時に、たまたま入荷していたCB-1を見たとたん、もうだめ。メロメロでした。そのCB-1は他のお客さんの取り寄せ商品だったらしく、改めて探してもらい、わざわざ赤のCB-1を引っ張ってきてもらった。赤は色あせするし、似合わないよという周囲の反対意見にも聞く耳を持たず、強引に購入。さすがに古い車体だけあって格安でした。しかし、現在の400クラスより遥かにパワフル。ポジションもgood。長く乗るつもりだったのだが、大型二輪取得と同時にFireStormを購入してしまったために泣く泣く放出。ホンダらしい「まじめなバイク」
FireStorm
CB-1の項目でも書いたように、高速道路を使うような長距離ツーリングだとさすがに400では苦しい。そこで一念発起して大型免許を習得。高速を使う長距離ツーリングではカウルは必須。そこで候補に上がったのがFireStorm…VTR1000Fです。国内モデルだったが必要十分なパワーと防風効果の高いカウルのお陰で高速道路も極めて楽チン。ただ、燃費がよろしくないのが玉に瑕です。

登山国道

昨日いつものように早朝ツーリングに
出かけた先で、ふと思った。
そういえば、近くにあの有名な
「登山国道」があるではないか!
これは行ってみるしかない!

ということで、
さっそく行ってきました。

登山国道、国道289号線。

Q1 国道289号線とは?新潟県新潟市を起点とし、福島県いわき市に至る、延長約285kmの一般国道で途中、燕市、三条市、下田村、只見町、田島町、下郷町、西郷村、白河市、棚倉町、鮫川村を経て、いわき市に至る。この国道の特徴的なところは、途中の新潟県下田村と只見町、及び福島県下郷町と西郷村の2箇所が車両の通行ができない分断国道となっていることであります。Q2 なぜ登山国道なのか?国道とは法律で以下のように定義されています。 一 国土を縦断し、横断し、又は循環して、都道府県庁所在地(北海道の支庁所在地を含む。)その他政治上、経済上又は文化上重要な都市(以下「重要都市」という。)を連絡する道路 二 重要都市又は人口十万以上の市と高速自動車国道又は前号に規定する国道とを連絡する道路 三 二以上の市を連絡して高速自動車国道又は第一号に規定する国道に達する道路 四 港湾法(昭和二十五年法律第二百十八号)第四十二条第二項に規定する特定重要港湾若しくは同法附則第五項に規定する港湾、重要な飛行場又は国際観光上重要な地と高速自動車国道又は第一号に規定する国道とを連絡する道路 五 国土の総合的な開発又は利用上特別の建設又は整備を必要とする都市と高速自動車国道又は第一号に規定する国道とを連絡する道路 すなわち、国道は起点と終点が他の国道と接続していなければいけないとか、その地域にとって重要な位置づけがあるとかの要件を満たすことが必要なんです。しかし、立派な道である必要はなさそうです。翻って289号線。つまり、289号線が国道という要件を満たすのには、他の国道と接続している必要があるだけで、車やバイクが走れない道でもぜんぜんOKなんですよね。だから、登山道でも獣道のような道路でも全く問題はありません。ちなみに、登山国道のほかにも、国道58号線などという鹿児島市と那覇市を結ぶ海上国道などというものも存在します。(ちなみに58号線の本土陸上部分は700Mしかありません。)また、他にも国道339号には「階段国道」などという道路も存在します。
今回行ってきたのは、福島県西郷村側。那須甲子有料道路を福島側に下りて来ると、そこが国道289号。整備された2車線道路でした。そこから甲子温泉に向かうこととなります。しばらく走ると、通行止めの標識があり、旧道に向かいます。その後再びバイパス部分に復帰。トンネルを抜けると…いきなり通行止め。 写真の奥には甲子山トンネルが見えます。矢印に従い左折。
アーチ橋はすでに完成。しかし鉄骨がどうも錆びているように見えるのは気のせいか?
ご丁寧にも「会津方面へは通り抜けできません」の看板も設置。
通り抜けてきたトンネル。安心坂トンネルなんて言われても、ちっとも安心できる道路ではありません。
その後、左側に下りていくと、大黒屋に到着。建物を脇に見ながら駐車場を通り過ぎると、このような建物が見えます。ここが登山道のスタート地点。レッキとした国道です。
大黒屋駐車場の奥にある建物の間を進みます。ベンチが国道を「通せんぼ」しています。ベンチがなければそのまま車で下りていってしまう人も多いのでは?
そして、細い道を下りていくと例のおにぎり看板が見えてきます。細い橋が国道289号線。
反対側からはこんな風に見える。道路の先には大黒屋の建物がかすかに見えます。確かにここまで車で下りてきちゃうと、Uターンもできそうもありません。ベンチの設置は正解でしょう。
階段を上る。
これが噂のおにぎり看板。
2012,7,17追記 その後、甲子峠トンネルも開通し、ウワサによると、おにぎりが撤去されているとのウワサ。これは確かめる必要があると思い、再訪しました。久しぶりに訪ねてみると、大黒屋さんも大幅にリニューアルしておりました。
前回と同じ場所から撮影。おにぎりがない!…国道指定から外れているのですから当たり前ですが、寂しい気もしないでもありませんね。

マフラーの焼け色除去

私の乗っているFireStormは20000km走行の中古バイクなんです。さすがに20000kmも走ってますと、あっちこっち汚れてたり、傷付いてたりします。特に気になるのがエキパイ。SUS製なんでしょうが、焼け色も綺麗とは言えないし、こんがりローストビーフのような色になってるのも、気になるところです。それじゃぁどうすれば綺麗になるか、あるいは綺麗に焼くにはどうしたらよいか??でもとりあえずは、今のきたな~いエキパイを綺麗にしてみましょう…ということで、今まであまり聞いたことないケミカル用品なんですが、こんなんがありました。その名も「ホロクリンジェル」

で、どのように使うかと言うと、写真に写ってる刷毛でホロクリンジェルを焼き色を落とす部分に塗って、同じく付属の布で拭き取る…って言う「お手軽」な方法です。

使用前 結構汚れてます
ぬりぬり
ピカー!!
ぬりぬり
ピッカー!!!

早朝箱根ツーリング

季節もすっかり秋めいてきました。これからは絶好のツーリングシーズンとなりますが、私の場合、居住地が茨城県ということもあって、ツーリング先というと、大体福島とか栃木とかが中心となります。
伊豆や箱根なんていうのは、いわばバイク乗りのメッカなのでしょうが、首都圏をまたいでのツーリングは億劫でもあり、どうしても首都高を通らなければならないため、今まで避けてきましたが、先日の早朝ツーリング時、福島方面の天候が悪いため、急遽行き先を箱根に変更。箱根ターンパイク、大観山、芦ノ湖スカイラインと走ってきました。

自宅をAM4時出発、途中休憩をとりながらも、AM6時半には大観山に到着しました。旧大観山ドライブイン前駐車場朝7時前というのに、ご覧の有様。大型バイクが次から次へと駐車場に入ってきます。 当日は、BMW、DUCATI、MOTOGUZZIなどの欧州メーカーがイベントを行う予定だったらしく、慌しい雰囲気の中、しばらくの間、駐車場に出入りするバイクなどを見ながらまったりと過ごしました。来ているバイクのナンバーは、ほとんどが品川、横浜などで、さすがに北関東ナンバーのバイクは早朝と言うこともあって、一台も見かけませんでした。
大観山を後にして、国道1号方面へ…道の駅箱根峠。道の駅にはただの1台もバイクの姿は見えず…車の通行も殆どありません。
道の駅から芦ノ湖を望む
、芦ノ湖スカイラインへ突入。まだ、早朝ということもあり、観光目的の乗用車はほとんど走ってませんでしたが、結構攻めてる4輪や2輪が多く、ちょっとびびりながらの走行。こっちはツーリングなんだし、あんまり追っかけないでね。ただでさえこっちはヘタレ大型乗りなんだから…
雲海と富士
箱根スカイラインにて…峠小僧ならぬ「峠オヤジ」と一般観光客カップルの乗るセドリック。 彼らは相当ビビッていました。(だから、あんまり素人衆を追っかけまわさないでって)

早朝日光ツーリング

 

今年(2005年)の秋は週末になると天気が悪く、なかなか早朝ツーリングに行く機会もなかったのですが、約1ヶ月ぶりに早朝ツーに行きました。(11月13日)。行き先はいつものように、前日の天気予報と相談の結果、会津方面の予定だったのですが現地の天気が曇りだったため、いつもの日光にターゲット先を変更。さすがに、朝はチト寒いかも…と思ったため、5時半出発。ところが…スゲー寒い…

ものの100Mも走らないうちに後悔しました。前日の水戸地方最低気温予想は5℃でしたが、どう見積もっても、5℃以下でしょう。さっそく最寄のセブンイレブンに緊急退避。ホットコーヒーを胃の中に流し込み、とりあえず思案。行くか戻るか…(この先、とりあえず茂木までの山越えもあるし、下手したら、凍死だな)とか、(これを逃すと、今シーズンの早朝ツーはもう無いな)とか…30秒ほど考えた結果、続行決定!凍死しないためにも、この先の避難場所を確認してみます。現在のセブンイレブンの先のコンビニや道の駅を検討した結果、途中宇都宮までに、3ヵ所の避難場所を決め、そこでしばらく体を温める作戦で決行することとしました。無事に、途中凍死することもなく、宇都宮環状道路(宮環)で給油も済ませ、日光市内に突入。しかーし思ったほど車がいない。ましてバイクは皆無。まだ8時前だからか…などと思いつつ、第2いろは坂で冷えた体を温めるべく右に左に体を入れ替え登坂。途中の黒髪平で一服。

黒髪平から日光市内方面

同じくいろは坂と男体山…って雪があるやんけ!

ここでトラブル。なんとあまりの寒さにデジカメが起動しない!!
モーターが寒さに負けて、レンズがせり出さないではありませんか!しばらく掌でカメラを暖め、再起動。きゅわーんという何とも鈍い音とともにレンズもせり出し、無事シャッターも落ちました。

明智平まで登ってきますと、結構車も上がってきており、さすが観光地日光!早朝からはるばるご苦労さんといった趣です。


さすがに、明智平から中禅寺湖よりにあるトンネル内での渋滞はありませんでしたが、(トップシーズンだとトンネル内はおろか、いろは坂全部が渋滞になる)紅葉時期が終わったとはいえ、結構他県ナンバーの車も多く、いつもとは勝手が違います。


さて、その後、いつものように、龍頭の滝上から中禅寺湖に向かい写真撮影

逆光でわかり難い…

すっかり冬支度ですな。

今回、日光に来た目的のひとつに前回山王林道に行った時のリベンジというのがありまして、というのも、前回山王林道に来た時は、山王峠頂上から栗山側が霧でほとんどというか全く景色が楽しめなかったこともあって、ぜひとも景色を眺めながらまったりと走りたかった、というのもありました。
しかし、戦場ヶ原から見る男体山の頂にはうっすらと雪が積もっており、ひょっとしたら通行止めかもという懸念もありました。それでも、戦場ヶ原のいつもの定点撮影場所で記念撮影をした後、山王林道に向かいアタック開始です。

FZR250(2002年9月)

CB-1(2003年5月)

VTR1000F(2005年11月)今回撮影。朝早くのため逆光で見にくいです。

アストリアホテルの脇を通り過ぎ、そのまま山王林道に突入。「この先スベリ止め必要」という看板も設置してありましたが、気にも留めずに少しずつ標高を上げていきます。すると道路わきには雪が積もってるじゃないですか!でも「これくらいだったら問題ない!」とばかりにそのままアタック続行。頂上近くになるにつれなかなか見晴らしの良い景色も見え始めました。

山王林道、山王峠頂上付近。さすがに紅葉は完全に終了です。

頂上の看板が見え、右コーナーを抜けた瞬間です。「あっ!!」とメットの中で叫んでいました!そこに見えた景色は…

このとおりでした。

教訓
あわてるな、朝と山には、気をつけよう、秋の早朝ツーリング…